丹郁弥|小国町黒沢地区における石棒の民俗考古学的研究
山形県出身
青野友哉ゼミ
目 次 研究の目的/二つの視点からの研究/考察
山形県小国町では現代でも男根信仰が色濃く残る地である。その中で、町内の黒沢地区では男根信仰に関する祠のご神体として石棒が祀られている(図1)。本研究では小国町黒沢地区の石棒を実例の一つとし、実測を行い記録に残す。また、石棒が縄文時代のものであるかを明らかにすることを一つの目的とする。さらに、民俗学的視点からも石棒の存在について考察していく。これは、男根信仰の現状を調査することでその実態を記録し、現状の認知というものを考察する。
考古学的研究では、祀られている石棒に対してNO.1~NO.6までの仮ナンバーを付け実測を行った(図2)。結果として、6本のうち欠損しているものが計3本、完形のものが計3本というものであった。欠損しているものの全長は不明だが19㎝以上のものであり、完形のものは60㎝以上のものであった。頭部についてだが、抽象的で比較的近いものであり、頸部は研磨によって製作されている。民俗学的研究では黒沢地区や隣の地区である松岡地区、男根信仰の要である大宮子易両神社に聞き取り調査を行った。黒沢地区では現在では正月参りのみを行っている状態であった。松岡地区では現在も夏と秋に祭りが執り行われている他、地区内の神社には男根信仰に関する言い伝えが今も残されている(図3)。大宮子易両神社では現在も男根信仰や子授かりの神として親しまれており、和合宮と呼ばれる建物には男石と女石が祀られている他、安産枕や大宮講といった風習が越されている。
考古学的研究では実測図をもとに他の地域の石棒と型式を比較すると、大きさは縄文時代中期のものと一致しており、頭部の特徴として中期初頭の円筒形石棒の特徴に当てはまることがわかった。このことからこの石棒は縄文時代中期初頭だといえる。民俗学的分析での男根信仰の現状についてだが、少子高齢化により地域ごとの祭りを行う規模といったものは縮小しているものの、男根信仰自体の認知といった点では現状も維持されていると考えられる。