庄司寧生|現代における柴燈護摩会 -山形県寒河江市本山慈恩寺を事例として-
山形県出身
松田俊介ゼミ
本研究では、信仰の現代的変容の一例として、山形県寒河江市本山慈恩寺の柴燈護摩会を取り上げる。柴燈護摩会は、成就?煩悩を滅するための祈祷を行う儀式である。山中にある護摩炉に柴が積まれ、修験者が燃え盛る焔に護摩札の祈願文を読み上げ、後に投入し、諸願成就と煩悩滅徐を祈念するというものだ。だが、現在の虚構においては、担い手の高齢化と減少が問題視されている。生活様式や価値観の変化、都市化の進展などの世相の変化、いかに儀礼の実施に関わっていくかを検討する。
「現代における行事に対する認識」では、参観者や関係者が過去の実施との違いについてチェックする、現代の祭りのありようが見えた。柴燈護摩会はかつては宗教的権威を持って実施されていたが、調査時においては「過去の実施」を尺度として、参加者より真正性の度合いを評価されており、行事に対する認識の変容がみられる。このように、参観者や関係者が過去の実施との違いについてチェックするようなありようについては、その地域にゆかりの歴史や伝統を活かし、周期的な行事であること、集団で行うこと、参加者が特有の規則に基づいて行動すること、人びとの関心を一か所に集める象徴があることが、参加者に非日常的な意識を作り出している。しかし、参加者は当事者意識としてではなく、観客という視座の意識が強いと言える。
本研究では「現代における慈恩寺の柴燈護摩会の行事記録」に光を当てながら、柴燈護摩会をめぐる状況、院坊の現状、現代における行事に対する認識について議論した。かかる議論において、柴燈護摩会に関わる一山衆と担い手との関係を整理すれば、現在、一山衆は、儀式をできるかぎり忠実に再生産するという仕方で継承しているが、多くの修験道において行事を支える「講」に類する集団が慈恩寺にはないため、今後の継承においては、行者でもない若年層や、慈恩寺とも地域とも関わりを持たない外部の人々にアピールしていく必要がある、と結論づけたい。柴燈護摩会に限らず、歴史的な祭事や儀式は、人々に非日常性を提供することにその重要な役割がある。そのため、儀式も社会の一部であり、それらの要素は一定の規則の下で抑制される。日常は時代とともに変化するものであると我々は意識し、伝統儀礼が醸す非日常性も、近代社会に調和したかたちで演出されることが模索されているのである。