2023年のビートルズ
あちこちで十分すぎるほど話題となっているが、このコラムでも取り上げないわけにはいかない。そうなのだ!ザ?ビートルズの「最後の新曲」が11月2日に発売されたのだ!
これに似た興奮は身に覚えがある。というのは、解散して久しいザ?ビートルズの新曲が聴けるという体験は1995年と96年にもあったから。あのときの曲は「フリー?アズ?ア?バード(Free as a Bird)」と「リアル?ラヴ(Real Love)」だった。とくに最初にリリースされた「フリー?アズ?ア?バード」がいよいよ聴けるというときの胸の高鳴りは忘れがたい。この歴史的な出来事をなんとか記録しなければという思いに駆られ、高校1年生だったわたしは、ビートルズの新曲についての新聞記事を切り抜いたり、ラジオ番組をカセットテープに録音したり、忙しくも楽しい日々を送っていた。それは、今も続くチマチマした収集癖の萌芽であった。
あれから28年。変わったものもあるし、変わらないままのものもある。とにかく、ザ?ビートルズの「新曲」がまた聴けるのは幸せなことだ。
ビートルズに学ぶAIとの向き合い方
さて、ザ?ビートルズの「最後の新曲」である「ナウ?アンド?ゼン(Now and Then)」は、AI技術が使われたということでも話題である。ジョン?レノンの不在を理由に、AI(人工知能)が勝手にジョン?レノン風のモノを「生み出す作業をするような/生成的な(generative)」使い方がされなかったことに多くの人が安堵しているようだ。この安堵感の奥にあるもの、それは、AIが人間を世界の隅に追いやってしまうのではないかという今日の人々が抱える不安な気持ちではなかろうか。人間はAIに置き換えられないはずだと思ってはいるものの、万が一、もしかして、置き換えられたらどうしようという不安だ。
それでは今回、AIが何をおこなったのかというと、雑音の多かったカセットテープからジョン?レノンの声だけを分離して取り出すという“demix”なる作業だ。“de”という接頭語には「分離?除去」や「下降」などの意味がある。録音したいくつかの音を合わせる作業が“mix”、それをさらに聴きやすくするためにやり直す(re)のが“remix”、で、今回は余計な音を除去する“demix”だ。膨大なデータをやみくもに収集し組み合わせることで新しい何かを生成してみようとするAIの昨今の専らの使われ方とは真逆の方向性を示したという点で、ザ?ビートルズの革新性、そして、時代のリード役ぶりは今回も健在だった。そのことがわたしにはとても嬉しかった。
最後のメッセージ
ジョン?レノンは、このたびクリアになった声で何を歌っているのだろう。ザ?ビートルズからの「最後」のメッセージはいったいどんなものだろう。曲はこんなふうにはじまる。
I know it’s true
本当だよ
It’s all because of you
すべてきみのおかげ
And if I make it through
なんとかうまくいけるとしたら
It’s all because of you
すべてきみのおかげ
And now and then
そして ときどき
If we must start again
やり直さなきゃならなくなったら
Well, we will know for sure
そのとき 確かめられる
That I will love you
ぼくがきみを愛してるってことを
この詩に登場する“I”と“you”は誰を指しているのだろう。
「最後の新曲」は、雑音の整理にのみ手が加えられたわけでなく、ジョン?レノンの元の曲の構成も変えられている。“Now and Then”というタイトルが定着する以前は“I Don’t Want to Lose You(きみを失いたくない)”と呼ばれていた時期もあったそうだ。そう歌う部分は今回カットされたうえで完成形として日の目を見たのだ。この曲がもともと録音されたのは1978年。その2年後にはヨーコについて歌ったとされる“I’m Losing You”という曲をジョンは作っている。これを踏まえると、これはもともと、ジョンがヨーコに対して歌った歌だと考えるのが普通だろう。
ビートルズを「脱構築」する
だが!しかし!である。
AI技術を“de”mix作業に充てたビートルズである。これがジョンのことで、あれがヨーコのことだ、と推測するようなネチネチした聴き方を超えていかねばならないのが今日のファンの使命だ。
元メンバーのジョージ?ハリスンは、1988年の彼の曲“This Is Love”の冒頭で“Precious words drift away from their meaning(尊いことばはその意味から浮遊し離れる)”と歌っているように、思考とは言葉になった時点でその本質から離脱してしまうものだ。だから、そこにある言葉にやたらに固執して「オレのほうが正しい解釈をしている」とか「ジョン?レノンを日本で一番わかっているのはボクだ」みたいな争いをするのは実に不毛なことなのだ。それはもう、愛の不毛だ。
このことは、フランスの哲学者ジャック?デリダが示した「差延」という概念で考えることができる。きわめて簡単にデリダの「差延」の概念について、ジョン?レノンを例に説明しよう。
「ボクはジョン?レノンだ」
とジョン?レノンが言ったとしよう。そのとき、ボク=ジョン?レノンであるはずなのだが、自分をジョン?レノンだとジョン?レノンが認識した瞬間と、それを言葉にした瞬間とのあいだに時間差がある。その時間のすき間に、自分に対する認識、もしくは自分自身に変化が生じてしまっているとしたら、ボク≠ジョン?レノン、になってしまうのである。つまり、言葉は当初の意味から浮遊し、認識していたはずの世界はこの瞬間にも変化してしまっている、というわけだ。あったであろう世界はつねに解体されつづけなければならないのだ。と、同時に、世界は新たな様相に絶えず構築されつづけていることを知らねばならないのである。それがデリダの脱構築(deconstruction)的な世界の認識方法だ。そう、キーワードは“de”だ。脱構築の視点でみれば、言葉も世界も絶えず変化しているのがわかる。同じままのことは何もないのだ。
そして最後の新曲はこのように幕を閉じる。
Now and then
ときどき
I miss you
きみがいなくてさびしい
Oh, now and then
ときどき
I want you to be there for me
きみに傍にいてほしいとおもう
I miss youと言っているのはジョン、ヨーコだったかもしれないけれど、今この瞬間にポールがジョンに言っているかもしれないし、次の瞬間にはジョージがリンゴに言っているのかもしれない。
足し算のごとく組み合わせによって膨張する世界はもう終焉を迎えているのかもしれない。だから“demix”に“deconstruction”???、引き算でモノを見て、新たな世界を想像/創造するときが始まりつつあるのかもしれない。ザ?ビートルズの「最後の新曲」を聴きながら、こんなことをわたしは考えている。
それではまた。次の1曲までごきげんよう。
Love and Mercy
参考文献
高橋哲哉『デリダ 脱構築と正義』講談社学術文庫、2015年。
森脇透青、西山雄二他『ジャック?デリダ「差延」を読む』読書人、2023年。
なみもん『はじめての脱構築』https://note.com/namimon_jp/n/n2106dff1add2
accessed on nov.18.2023
(文?写真:亀山博之)
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第1回 わたしたちは輝き続ける~ジョンとヨーコの巻
第2回 バス停と最新恋愛事情~ザ?ホリーズの巻
第3回 孤独と神と五月病~ギルバート?オサリバンの巻
第4回 イノセンスを取り戻せ!~ザ?バーズの巻
第5回 スィート?マリィは不滅の友~フレイミン?グルーヴィーズの巻
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亀山博之(かめやま?ひろゆき)
1979年山形県生まれ。東北大学国際文化研究科博士課程後期単位取得満期退学。修士(国際文化)。専門は英語教育、19世紀アメリカ文学およびアメリカ文学思想史。
著書に『Companion to English Communication』(2021年)ほか、論文に「エマソンとヒッピーとの共振点―反権威主義と信仰」『ヒッピー世代の先覚者たち』(中山悟視編、2019年)、「『自然』と『人間』へのエマソンの対位法的視点についての考察」(2023年)など。日本ソロー学会第1回新人賞受賞(2021年)。
趣味はピアノ、ジョギング、レコード収集。尊敬する人はJ.S.バッハ。
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