尊い「平凡」
2024年になった。このお正月は、地震と事故のニュースとともに始まった。当たり前の平凡な日々というものが、いかに尊いものか…、あらためてこのことを感じずにはいられない。すべての人の心が穏やかでありますようにと、ただ願うばかりである。
雪のない正月
ここは雪国だから、昔は正月といえば雪が積もっているのが当たり前であった。が、地球温暖化のせいだろうか、近年は雪のない正月も珍しくなくなってきた気がする。じじつ、今年の正月もあたたかで雪がなかった。というわけで、今年の元旦は、私は昼から自転車に乗って山を登っていた。
自転車で山を登る。苦しくて、そして、楽しい。ペダルを漕がなければ前には進まない、単純極まる最高のスポーツだ(とはいえ実際には、奥の深いペダリング技術、ギヤ比のチョイスにケイデンスなど、様々なことが求められるのだが???)。覚えている限り、私は3歳くらいから自転車が大好きなのだ。
わたしは幼稚園児だったころから自転車に乗るのが得意だった。だから、安全のためにつけられた補助輪が邪魔で仕方なかったこともよく覚えている。ある日、抵抗を増やすだけのただの「足かせ」のようなその補助輪を、祖父から取り外してもらった。すると、2つの車輪でスーッと軽やかに進んだ初めてのあの感覚!なんて素晴らしい乗り物なんだ!と感動したことを今も覚えている。以来、私は自転車が大好きなのだ。
最高の道具
人間の力を効率よく引き出す道具として、自転車が最高の乗り物だということは、アップルのスティーブ?ジョブズも言っていた。ジョブズは1981年の論文のなかで、こんなことを述べている。
“When we invented the personal computer, we created a new kind of bicycle…a new man-machine partnership…a new generation of entrepreneurs.”(わたしたちがパーソナル?コンピュータを発明したというのは、ある種の新しい自転車を創造したということなのだ。人間と機械の新たなパートナーシップ、新時代の起業家というものを創り出したのだ。)
ほかにも、アップル?コンピュータの宣伝のキャッチフレーズには”Wheels for the mind”(知性のための車輪)というものもあった。人間にとって自転車という乗り物がいかに効率のよい道具かということを引き合いにして、コンピュータが人間の知性のはたらきを効率よく増幅する優れた道具になることを、ジョブズは世に訴えているわけだ。私はアップルPCユーザーではないものの、なんて素敵な比喩だろうと感心する。むしろ、このジョブズによる比喩によって、自転車の効率の良さを再確認して感心しているのだが???。
自転車賛歌
そうなのだ、誰がなんと言おうと、自転車は最高なのだ。だから今回のコラムでは、自転車賛歌を聴くしかない。となれば、クイーン(Queen)の1978年の「バイシクル?レース(Bicycle Race)」だ。詩と曲はフレディ?マーキュリーによるもの。映画『ボヘミアン?ラプソディ』(2018)のおかげでクイーン人気が再燃したことはなによりだ。
漕げば前進するという単純な自転車と同じく、この曲の詩もいたってシンプルだ。好きな場所を自転車に乗って走りたい、というだけの話である。
Bicycle, bicycle, bicycle
自転車 自転車 自転車
I want to ride my bicycle
自転車に乗りたい
I want to ride my bike
ぼくの自転車に
I want to ride my bicycle
自転車に乗りたい
I want to ride it where I like
好きなところを自転車で走りたい
ロックオペラ的華麗なコーラスにつづくのは、楽しい言葉遊びである。”You say black I say white (きみが黒というなら、ぼくは白という)/ You say bark, I say bite(きみが吠えろといえば、ぼくは噛みつけという)”「ああいえばこういう」といった言葉の羅列がいくつか続くと、次にやってくるのは美しいブリッジ部だ。
Bicycle races are coming your way
自転車レースのはじまりだ
So forget all your duties, oh yeah
だから 仕事のことなんて忘れよう
Fat-bottomed girls they’ll be riding today
お尻の大きな娘たちも今日走るぞ
So look out for those beauties, oh yeah
彼女たちの美しさには用心だ
On your marks, get set, GO!
位置について、 よーい、ドン!
自転車が放つメッセージ
この曲のおかげで、海外で開催される競争のテレビ中継を観ていると聞こえてくる英語でのスタートの合図のしかたを学べたものである。それはさておき、この曲はシンプルな自転車賛歌であると同時に、世の歪みに対する怒りを含んでいるように感じる。つまり、漕げば進むというシンプルな乗り物にただ乗りたい「私」は、漕ぐという行為をごまかして前進しようとする狡猾な奴らに対して怒っているのだ。「バイシクル?レース」は、ズルい奴らに対する怒りと軽蔑の歌なのだ。最後のコーラスのひとつ前のスタンザをみれば、この怒りと軽蔑がよくわかる。
You say smile, I say cheese
きみが笑ってといえば、ぼくは「チーズ」
Cartier, I say please
カルティエだったら、ぼくは「どうかお願い」
Income tax, Jesus!
所得税には、「マジか!」
I don’t wanna be a candidate
ぼくはゴメンだね
for Vietnam or Watergate
ベトナム戦争もウォーターゲート事件も
‘cause all I want to do is
だって やりたいのは
Bicycle, bicycle, bicycle
自転車、自転車、自転車
このスタンザに見られるのは、泥沼化したベトナム戦争、そして、アメリカ大統領による不正が発覚したウォーターゲート関連の出来事への異議申し立てだ。真理をねじ曲げてまでも、自分だけ得をしようとする、そんなズルい人間たちへの抵抗の歌なのだ。自分の脚力だけで進むはずの自転車のレースで、モーターやエンジンを使ってズルする奴がいたら誰しも怒るだろう。同じように、税金を取り立てる側の人間が脱税しているような状況では、怒らないほうが異常である。
そういえば、怪しげな大義名分をふりかざした戦争が起きていたり、どう考えても違法な裏金で私腹を肥やすズルい奴らがいたり、クイーンがこの曲を発表した70年代も、わたしたちが暮らしている現在も、なんだか似たような状況ではないか。それでいいのか、人類、と思う。
汗をかきながら苦労してペダルを漕ごうともせず、ズルして山を登ろうとする奴はいつの時代もいるというわけか。なんてことだ。マトモな仕事も努力もせず、上っ面の達者な減らず口で、あちこちで愛想とおべんちゃらをふりまいて出世をこころみるような、そんな濡れ手にアワのmonkey businessに手を染めた人々があちこちにいるようだ。そんなことで手に入れた栄光なんて、川面に浮かぶアワのようなものなのに。そんな人たちには、自転車に乗って山を登ってみることをおすすめしたいものである。あ、インチキやごまかしのことを英語で”monkey business”ということは、みなさま、ご存じでしたね。しかしながら、なんとも猿に失礼な表現ではないか。
実力で勝負しなければ、自転車レースは成立しない。真理をねじ曲げる奴らには、出場の資格さえないのだ。そう、自転車は素直で正直な乗り物だからこそ、力強いメッセージを放つのだ。クイーンはそれを知っているのだと思う。嗚呼!God Save the QUEEN!
自転車操業で運営します
心のこもった年賀状を送ってくださった愛すべき読者のあなた、そして、いつもご愛読くださるみなさまに感謝の意を示しつつ、今年も自転車で走るように、ひと漕ぎひと漕ぎ、セッセとこのコラムを執筆していこうと思っています。どうぞみなさま、今年もひきつづきお付き合いよろしくお願いいたします。
それではまた。次の1曲までごきげんよう。
Love and Mercy
【参考文献】
Jobs, Steve. “When We Invented the Personal Computer,” Computers and People. July-August 1981.
(文?写真:亀山博之)
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第1回 わたしたちは輝き続ける~ジョンとヨーコの巻
第2回 バス停と最新恋愛事情~ザ?ホリーズの巻
第3回 孤独と神と五月病~ギルバート?オサリバンの巻
第4回 イノセンスを取り戻せ!~ザ?バーズの巻
第5回 スィート?マリィは不滅の友~フレイミン?グルーヴィーズの巻
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亀山博之(かめやま?ひろゆき)
1979年山形県生まれ。東北大学国際文化研究科博士課程後期単位取得満期退学。修士(国際文化)。専門は英語教育、19世紀アメリカ文学およびアメリカ文学思想史。
著書に『Companion to English Communication』(2021年)ほか、論文に「エマソンとヒッピーとの共振点―反権威主義と信仰」『ヒッピー世代の先覚者たち』(中山悟視編、2019年)、「『自然』と『人間』へのエマソンの対位法的視点についての考察」(2023年)など。日本ソロー学会第1回新人賞受賞(2021年)。
趣味はピアノ、ジョギング、レコード収集。尊敬する人はJ.S.バッハ。
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