仕事柄「石垣のおもしろい見方を教えてください」とよく聞かれる。
粋な言葉を探そうとして返答に窮するのだが、問うてきた本人は石垣の魅力にはまりかけているか、石の壁を見ながらにこにこしている変人趣味のいわれを知りたいのか、どちらかである。
何の道もそうだが、究めるに近道はない。知識の肥やしと好奇心のサイクルをぐるぐる回しながらひたすら対象と向き合う。近頃、テレビで露出度が増しているのでご存じの方も多いと思うが、比叡山の麓、大津市の坂本に「古式穴太衆積み」を名乗る粟田建設 がある。
十三代?粟田万喜三さんの「石の声を聞け」という金言がある。十四代?純司さん(「文化財石垣保存技術」選定保存技術保持者)や現棟梁の十五代?純徳さんも若いころからその謂うところを探しながら修行してきたという。
私は学生たちに「土器とお話をしなさい」「石とお話をしなさい」という。かつての職人は棟梁の言われるままに仕事をし、修行の意図を説明されなくても経験と成長のなかでその意味を自ら見出していった。大小さまざまな自然石からなる野面積み石垣を築くとき、積み石の並びにどの石を持ってくるとよいか、石置き場をみると積んでほしい石が声を上げているという。「俺を積んでくれ」と、石の声が聞こえてくる。
学生時代、廃校になった小学校の木造校舎に1か月あまり泊まり込み、土器の接合をやっていた。窯跡から出土した須恵器数千点を机の上に並べ、来る日も来る日も破片を手に取った。それだけ見ていれば、さすがにすべて覚える。棋士が頭の中で将棋を指すように、頭の中で見つからない破片を探したり、くっつけることができた。
このような事例はおそらく土器にしても石垣石にしても、人間が瞬時に形や大きさ、質感、人為痕跡など多様な属性を認知し、記憶することができる能力に由来する。そして、経験知により次に来るべき石や土器のイメージ(空間認識)があれば、隙間にはまるピースを探すことはそれほど難しいことではない。その間に脳のなかでどんな神経回路が働いたのか、認知科学的にどのような説明が可能なのか私にはよくわからない。
ただ、経験的に思うのは、最初は意識的に問いかけないと声は聞こえないということだ。
「お前はどんな石だい?」
「御影石だよ」
「だったら硬いけど目では割れやすいね」
「古傷はあるかい?」
「そうだね、埋まっているときに深手を負ってね、山傷があるからあんまり加重かけないでね」
「おや、背中にいくつも傷があるね?」
「よく分かったね。宝暦の修理の時に背中をちょいと削られてねぇ、文化の修理の時にはお尻を割られて短くなったんだよ」
私たちは普段、石とこんな会話をしている。観察と知識によって痕跡から加工痕や時期等を読んでいくのである。寡黙な石たちと会話が弾むとついつい長話することになる。各地のお城の石垣巡りは、まだ会ったこともない魅力的な人に会いに行くようなわくわく感がある。
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年末に盛岡で講演をした。石垣好きにはたまらない盛岡城跡の魅力について熱く語った。
盛岡城の築城は16世紀末に高台の本丸?二ノ丸から始まり、17世紀前葉までに三ノ丸、腰曲輪の石垣が整備された。第1期工事の石垣は角の部分が「割石」で、そのほかは「自然石(野面石)」が主体である。17世紀前葉の第2期工事の石垣はほぼ割石からなる。土から掘ったままの加工していない石のことを「自然石(野面石)」といい、これに矢穴を掘り、矢を打ち込んで割った石を「割石」という。
割石独特の表情が、石面に残る歯形のような矢穴痕である。小さい石でも5~6個、角石だと15~20個ぐらいが並ぶ。矢穴痕のある大小、形の不揃いな石をうまく組み合わせ、横目地の通らない荒々しい積み方(「乱積み」という)になっている。この野趣に富む石積みの意匠がたまらなくいいのである。
前述の粟田さんは不揃いの石をよく人に例える。でかいやつ、小さいやつ、姿?形のいいやつ、悪いやつ、体力のあるやつ、ないやつ。人間社会と一緒だと。それを無駄なく適材適所に積んで強い石垣を作る。「穴太積み」と称される野面積み石垣の極意である。限られた資源、多様な材料を有効に活用する。不揃いのなかの調和的デザイン。日本人の美意識にかなう石垣ではないか。
こういう割石主体の石垣は、秀吉が文禄?慶長の役に際して築かせた肥前名護屋城(佐賀県唐津市)を始まりとし、熊本城跡や名古屋城跡など、江戸初期の築城ブームに乗って一気に全国に広まった。しかし、現在大阪に残る徳川期大坂城が造られた元和6年(1620)~寛永5年(1628)になると、割った表面をノミで平らに均すため、素朴な割面が露出する盛岡城跡のような石垣はすぐに消えていった。
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前置きがずいぶん長くなったが、ようやく本題の「双子石」の話に入る。
双子石とは一つの石を真ん中で割って2個になったような石のことをいう。
巨石を割れば、三つ子や四つ子もうまれる。徳川期大坂城の採石場があった小豆島や東六甲の山にはそんな石が無数に眠っている。
大坂城跡で4番目に大きい大手門の見附石(高さ約5m、幅11.0m)もまた双子石である。左右の石の表面にある「ほくろ」のような捕獲岩を比べるとわかりやすい。
石面はポジとネガの関係になる。双子石を見定めるのには石の形だけでなく矢穴痕(数、形、深さなど)が決め手になる。回転していることもあるので頭を柔らかくしないと見つけられない。毎回、ペアを見つけるとメモはするのだが、まとめたことがないので全部でいくつになったのか定かでない。講演を聞いてくださった市民の方々も興味をもってくれたので、今後飛躍的に増えることを期待したい。
仮に1個の石を決めて、その周囲をざっと眺めまわす。すると「オレ、オレ」と自己主張してくる石がある。そして、最初の石と見比べてピタリと合えばにっこりする。トランプには「神経衰弱」という遊びがあるが、こちらはペアが見つかると興奮する。確かに1時間にらめっこしていても見つからなければ衰弱するかもしれないが。
盛岡城跡の石垣石は花崗岩である。石垣の石材は、一般的には山間部や海岸に露頭している岩石を割り立てて運んでくる。金沢城では城から約10kmの所にある戸室山周辺で採掘し、5間幅の道を整備して石を引いてきた。大坂城では瀬戸内海や東六甲山、江戸城では伊豆半島東岸などから、それぞれ港を整備して海上を船で輸送した。
ところが盛岡城では築城期の造成工事の際に城山からゴロゴロ、石がでてきたらしい。平成の石垣修理工事に伴って背面の地盤を掘削すると、地面の中から一部割られた石材や未採掘の巨石が顔を出してきた。いまでも三ノ丸には烏帽子岩(高さ6.6m、周囲約20m)や無名の巨岩が露頭している。烏帽子岩は往時、三ノ丸造成工事の際に掘り出されたが、あまりに根が深いので割れず、瑞兆として祀ったとの伝えがある。堀跡(鶴が池)に残る巨石や盛岡地方裁判所前の「石割桜」、中津川の「だんご石」などは、あたり一帯に石材が豊富にあったことを窺わせる。
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もし双子石を探してやろうという人がいたら、まず本丸の東側~北側あたりから歩くとよい。本丸周辺だけでも数10組はある。特に直方体状に加工している角部の石が見つけやすい。角は「算木積み」といって、石尻を左右に振り分けながら積んでいくのだが、上下の段で接合する例が多い。
第1期、第2期工事の石垣では双子石がたくさん見つかるが、二ノ丸西側など17世紀後半以降の石垣では見つからない。それが何を意味するか。
同じ割石主体の石垣を持つ熊本城では、石垣面積が5倍も広いのに双子石はわずか一組しか見つかっていない。熊本城跡の石丁場は、お城の南西約2~4㎞、花岡山や独鈷山等で見つかっている。
なぜ、盛岡城にはこんなにたくさんの双子石がある(見つかる)のか。17世紀後半になるとなぜ見つからないのか。
もうすでにお分かりの方が多いと思うが、双子石探索は単なる物好きの趣味にはとどまらない。石垣作りにかかる採石、加工、運搬、積み上げの一連の工程、普請組織など、往時の築城技術を解明するのに欠かせない基礎調査なのである。
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最後に余談を一つ。双子石探しというささやかな楽しみを奪う策略が進行している。
測量した石垣データをもとに、顔認証システムを使ってコンピューターに神経衰弱をやってもらうのである。いつの日にか熊本城跡の石垣でもたくさんのペアが見つかるかもしれない。しかし、実際の双子石はただ二つに割り開いておいたものだけではない。中の方に90度回転していたり、片割れが再加工されたりする場合もある。それを認知できるのが人の観察眼である。人間らしいそんな能力が錆び付いてきたなと思ったら、盛岡城跡で石垣と向き合ってみることをおすすめする。
「石の声を聞く」「石とお話をする」――それが楽しくて、また石垣を歩く。(続く)
(文?写真:北野博司)
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北野博司(きたの?ひろし)
富山大学人文学部卒業。文学士。
歴史遺産学科教授。
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専門は日本考古学と文化財マネジメント。実験考古学や民族考古学という手法を用いて窯業史や食文化史の研究をしている。
城郭史では遺跡、文献史料、民俗技術を駆使して石垣の構築技術の研究を行っている。文化財マネジメントは地域の文化遺産等の調査研究、保存?活用のための計画策定、その実践である。高畠町では高畠石の文化、米沢市では上杉家家臣団墓所、上山市では宿場町や城下町の調査をそれぞれ、地元自治体や住民らと共に実施してきた。
自然と人間との良好な関係とは、という問題に関心を寄せる。
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