みんな誰だって最初は不安を抱えている。
新しくチャレンジするとき、自分のことになると周囲が見えなくなって客観的指標とは別に「ほかの人はあんなにキラキラ輝いているのにオレときたら」みたいに後ろ向きになってしまうかもしれない。私も18歳のとき故郷の愛媛県から上京して、新しい土地でこれまで足を運んだことのないキャンパスで、知らない人たちと机を並べて学ぶことに心穏やかでいたわけではない。今でも覚えていることとして当時の学食ではお茶を入れる機械がボタン式ではなく、蛇口のようなものを手前に90度傾ける方式だったのだが、そのことすら知らない自分に衝撃を覚えたものである。オレはお茶も入れられないのだ。
まあ、お茶自体は横の人が入れている様子をじっと観察して、見様見真似でクリアしたのだが、もし横に人がいなかったら蛇口っぽいものを普通にひねっていたと思う。いや、ひねるでしょ。蛇口型だし。
芸工大の文芸学科で入学したての1年生が受講する授業として「作品読解」というものがある。毎回一つの作品を教員が取り上げて、その作品の要約と考察を書く内容である。講義形態を取りつつ、学生側も作業したりグループワークをしたりする芸工大らしい授業と言える。
あー、わかる。要約を書くなんて簡単じゃないかという意見はたまにいただくのだが、世の中、書かれたことを書かれた通りに読み取るのがスムーズにいくわけではないのだ。例えば桃太郎を例にするとある人は「キビ団子1つで猿?鳥?犬をたぶらかし、彼らと一緒に鬼退治する話」と要約するし、ある人は「桃から生まれたスーパーマンが、あまりに余った力を駆使して鬼退治し、財宝を手にして成功者になる話」と要約するかもしれない。つまりどこを重視して読んでいるのかは人によって違うわけで、それ自体は構わないのだが、前者の要約だと「たぶらかした」と読解できる文章が書かれているのかが問題になるし、後者の要約だと「桃太郎一人が活躍した」となりほかの部分を読み落としていることになる。
つまり作品に沿った内容を読み取り、作品沿った要約を書くのは、ある程度の力が必要になる。取り上げる作品自体は何でも良いとはいえ、やはり読むということは入学したばかりの新入生に何かしら吸収されていくので、選ぶ作品にも気を付けるようにしている。
数年前から「作品読解」の第1回目授業で取り上げる作品は、新入生の不安に寄り添うような作品をセレクトするようにしている。2022年度の初回では奥田亜希子さんの「ブラックシープの手触り」(『クレイジー?フォー?ラビット』 朝日新聞出版、2021年)を取り上げた。受講生の皆さんはついこの間までは高校の教室でだいたい同じメンバーと交流し、同じメンバーで授業を受けていたと思う。もちろん学修形態を一律に語ることはできないけど、教室内の関係性に頭を悩ませていた人は多いと思うし、世界がそこしかないと逃げ出したくなる気持ちもあったであろう。奥田さんの「ブラックシープの手触り」はそこに悩んだ高校生がファミレスで教室内の関係性から切り離された人とコミュニケーションを取っていく物語である。当然ながら教室の息苦しさから逃げ出せたとはいえ同じ高校生であっても、同じ年代の人であっても、必ずしも負担のない関係性が築き上げられるわけではない。
どこかに自分が前向きになれる場所があるだろうし、それが教室かもしれないし、ファミレスかもしれないし、まったく違う場所かもしれない。教室内の権力様相とは違う関係性が作り上げられるかもしれない。多くの羊が白い色をしているなかで、一匹だけ黒でもいいじゃないか。そう思えるように大学生活を送って欲しい。という説教臭いのがセレクトの裏テーマである。
2020年度は相沢沙呼さんの「卯月の雪のレター?レター」(『卯月の雪のレター?レター』 創元推理文庫、2016年)を取り上げた。数年前に亡くなった人から届いた手紙の謎とともに高校生の主人公が周囲からのイメージと自意識のギャップに悩まされる物語である。本を読んでいるだけで頭がいいと言われている主人公が、他者からの価値観に悩み、快活な姉や親戚に憧憬を抱く。そしてこのまま大学に進学し、就職していいのだろうかと考え続けるわけだが、自分とは違うと思っていた人たちが実は同じように悩み続けているという事実が主人公の背中を押している。
たぶん、入学してすぐは不安しかないだろう。世界の不安を今自分だけが抱え込んでしまって息ができないと思うかもしれない。でも自分だけでなくほかの人も、優秀そうと思っているあの人も何かに悩んでいるはず。何より芸工大の学食でお茶は入れられるだろうから、玉井よりはマシなので大丈夫だよ。と2020年の2月にシラバスを書いていたときはそう思って選んだのだが、この年はコロナ禍により授業のスタートが遅れてしまった。卯月の物語を皐月に読む羽目になったのである。
2019年度は青崎有吾さんの「三月四日、午後二時半の密室」(『早朝始発の殺風景』集英社文庫、2022年)を取り上げた。卒業式を欠席した同級生を見舞いに行く主人公だが、その病人は教室内では孤高で距離のある存在だと主人公が思っている。同級生たちと馴れ合おうとはしないし、ダメなものはダメとはっきり言うし、どうやら自分たちが読んでいない作品を読んでいるようだし、憧れと緊張がない交ぜになった気持ちを抱いていく。そういう人はあなたの近くにいますか。もしかしたらあなたがそうですか。もしかしてそれは見栄っ張りの背伸びですか。
物語では、最後にはその心の密室を開け放っている。大学に入ると他者との距離感をつかむのが難しかったり、自らの意見をさらけ出すのが怖かったりするもしれない。いや、大学ではなく、集団行動する場面ではおおむねそういうものかもしれない。誰にでも心を開きましょうと教条的なことを言いたいわけではなく、その一歩を踏み出す勇気は運とタイミングで出来上がっているので、いざというときには怖がらないようにしよう。
ちなみにこの作品を1年生が最初に受ける授業の初回で取り上げたと作者本人に伝えたところ、「なんというお洒落なことを!」と言われたのだが、その作品を書いたのは青崎さん自身である。
小説の良いところは、自分だけが抱えていると思うことを作中の誰かと共有できる点である。そしてそれは読む側にいるだけではなく、書く側として表現していってもいいはずだ。7月30日(土)?31日(日)のオープンキャンパス では卒業生で小説家の猿渡かざみさんの創作講座が開かれるし、原稿を持ち込んで教員から講評をもらうこともできる。不安だらけだろうけど、ちょっと足を運んで、自分の書いたものを見てもらうのも良いかもしれない。
(文?写真:玉井建也)
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玉井建也(たまい?たつや)
1979年生まれ。愛媛県出身。専門は歴史学?エンターテイメント文化研究。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。東京大学大学院情報学環特任研究員などを経て、現職。著作に『戦後日本における自主制作アニメ黎明期の歴史的把握 : 1960年代末~1970年代における自主制作アニメを中心に』(徳間記念アニメーション文化財団アニメーション文化活動奨励助成成果報告書)、『坪井家関連資料目録』(東京大学大学院情報学環附属社会情報研究資料センター)、『幼なじみ萌え』(京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局 藝術学舎)など。日本デジタルゲーム学会第4回若手奨励賞、日本風俗史学会第17回研究奨励賞受賞。
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