雪が降り始めた。四国出身としては山形に最初に来たとき、降雪だけでテンションが上がったものである。ただし5分で気分は下がってしまった。寒い。とにかく寒い。5分で十分である。
四国で生きているあいだで雪が降ったのは小学生だったとき一度きりであり、担任の教師が授業をやめにして外で遊ぼうと言い出して雪合戦をした記憶がある。授業をしないと学修時間は減っているので、実は大問題だったのではないかと今なら思うが、あの当時はそのぐらい珍しいものだったのだ。というのを高知県で雪が降ったというニュースを見ながら書いていると、2022年に小学生をやっていたら授業が休みになって雪合戦をすることはないのかもしれない。高知だけではなく愛媛でも降雪しているし、四国で雪が降ること自体は数年に一度ニュースになっているので、あのとき味わった一生に一度しか経験できないかもしれないという特別感はもう存在していないのかもしれない。
雪国に来るまでは雪の上を歩くとか、雪が空から舞い落ちるなかを進むとか、ユニクロのヒートテックには極暖よりも分厚いものが存在することなど考えもしなかった。雪に触れるのはフィクションのなかであって、脳内で再生するだけのものだったのだ。実際に経験すると自分自身の想像力のほんの少し先を現実は進んでいることを痛感している。
フィクション以外で雪を思い出すものとしては「桜田門外の変」と「二?二六事件」ではないだろうか。2022年はそこに大河ドラマの影響で「実朝暗殺」が入ってくるかもしれない。何はともあれ私自身が大学に入学した際、読んでいた網野善彦さんの『東と西の語る日本の歴史』(講談社学術文庫、1998年)などを通じて、「そうか、天気や気候も違うもんな」と思っていたものである。網野さんの著作では気候問題にまで深く突っ込んではいないので、もしかしたら違うものを読んだのかもしれないが、ちょうど入学した年に文庫化されたので印象には残っている。
戸田義長さんの「逃げ水」(『雪旅籠』創元推理文庫、2020年)は「桜田門外の変」で起こった謎を解いていくミステリーである。「桜田門外の変」に謎なんかあったのか? と思うかもしれないが、史実とは違う物語内の事実から謎を作り出せるのがフィクションの素晴らしいところである。井伊直弼が殺害されたわけだが、その際、襲撃に対し応戦していた彦根藩士が内通していたのではないか、という疑いをかけられたという話である。毎年、授業で一度ぐらいは時代小説を取り上げて、多様な作品に触れる機会を作っても、学生の皆さんの食いつきはよくない。歴史を描いたマンガ作品は数々あれど、それらヒット作を読んでいないのか。時代小説の幅の広さを何とか味わってほしいと毎年苦慮している。
大学2年生(まだ1年生だったか)のまさしく2月にNHK-FM「青春アドベンチャー」で放送されていたのが、宮部みゆきさんの『蒲生邸事件』であった。上京した浪人生が泊まったホテルでの火災から逃れた先が、昭和11年2月26日の東京、のちに「二?二六事件」と呼ばれるクーデター事件が起こったそのときにタイムトラベルしていたという作品である。これから起こるであろう歴史をぼんやりとは知っている主人公が、一緒に未来へ帰ろうと惹かれた女性を誘うわけだが、避けられない時間と出来事の強固さの前に聴取者の一人として打ちひしがれ、原作を買って何度も読んだものである。
つい先日、文芸論5の授業で江藤茂博さんの「メディアを横断する少女 『時をかける少女』のメディアミックス」(遠藤英樹?松本健太郎?江藤茂博編『メディア文化論』ナカニシヤ出版、2017年)を取り上げて、ここ最近、新しい「時かけ」が制作されていないのは賞味期限が切れたのではなく、「時かけ」が描いてきた複数の要素は普遍化されて様々な作品で味わうことができるのでは、という話をした。今年は数々のタイムリープ、それとともに他者との関係性を描いた作品に触れた人が多いと思うが、この『蒲生邸事件』も同じ流れのなかに存在している作品と言える。
いやいや雪といえば、雪山の山荘! 外は吹雪! 電話線は切られてる! クローズドサークル! そしてもちろん殺人が起こるのだ。という人に向けて佐々木倫子さんと綾辻行人さんの『月館の殺人』(上下巻、IKKI COMICS、2005?2006年)を取り上げよう。『動物のお医者さん』、『おたんこナース』でおなじみの佐々木倫子さんと、私が大学生のときは館シリーズで著名だった(今の学生にはAnotherシリーズのほうが有名かもしれない)綾辻行人さんがタッグを組んだ作品である。面白いに決まっている。あーでも、なぜここで取り上げているのかの説明はできない。北海道の吹雪のなかを走る列車(電車ではないらしい)のなかで起こった殺人事件を描いていく作品なので、鉄道ものである。鉄オタ要素が1ミリもない私でも読むことができるので、その点は心配ない。そして読んでいくなかで「なぜこれほどごにょごにょ書いているのか」をわかってくれるだろう。
なぜ人が死ぬ話ばかり読んでいるのですか。という疑問を数年に一回は新入生から寄せられるので、ファンタジー作品で最後をしめよう。古橋秀之さんの『冬の巨人』(徳間デュアル文庫、2007年)では、文明が崩壊し、雪が常に降り続ける世界で人間は巨人の背中に乗って生きている。7日間で1歩進む巨人の上で限られた資源と文化で、人々が階層社会を築き上げており、それが当然視されているなかで、主人公が常識を打破し、認識を広げ、世界から脱出していく物語である。
狭い世界からの物理的?認識的な離脱は、フィクションでよく描かれるテーマではあるが、この作品は王道の力強さを感じ取ることができる。学生の皆さんはよく「王道の話を書きたくない」や「オリジナリティあふれる作品を書きたい」と言っており、その心意気自体は間違いではないのだが、ストーリーラインが王道である大ヒット作品はこの世にあふれている。例えば私が好きな作品で古味直志さんの「island」(『古味直志短編集 恋の神様』集英社、2014年)という短編マンガがあって、まさしく狭い世界からの離脱を描いている。でも受ける印象は『冬の巨人』と違っているので、テーマやストーリーラインだけで物語は構成されていないことに気づくはずだ。
なお『冬の巨人』については2014年に富士見L文庫で、加筆修正され発売されているので、どちらかといえばそちらを読んだほうがいい(イラストがあったりなかったりだが)。
さて、大学が冬休みに入ろうとするタイミングで、大寒波がやってきて、山形は大変な状況である。なかなか理不尽なのだが、世の中そういうもので、小学生のとき授業そっちのけで行った雪合戦は、水分を多く含んだ雪だったため雪玉が泥団子と化し、最後に教室で「みんなが私を狙って雪玉を投げてきたから、ジャンパーがこれほど汚れてしまった」と教師から説教をくらってしまった。やろうと言い出したのは、そちらではないか、というのは通じない。山形に来て初めて乾雪の存在を知り、体感したわけだが、あのときの教師と自分たちは何も知らなかったのだ。まことに理不尽である。
(文?写真:玉井建也)
BACK NUMBER:
第1回 はじまりはいつも不安
第2回 よふかしのほん
第3回 夏の色を終わらせに
第4回 本はブーメラン
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玉井建也(たまい?たつや)
1979年生まれ。愛媛県出身。専門は歴史学?エンターテイメント文化研究。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(文学)。東京大学大学院情報学環特任研究員などを経て、現職。著作に『戦後日本における自主制作アニメ黎明期の歴史的把握 : 1960年代末~1970年代における自主制作アニメを中心に』(徳間記念アニメーション文化財団アニメーション文化活動奨励助成成果報告書)、『坪井家関連資料目録』(東京大学大学院情報学環附属社会情報研究資料センター)、『幼なじみ萌え』(京都造形芸術大学東北芸術工科大学出版局 藝術学舎)など。日本デジタルゲーム学会第4回若手奨励賞、日本風俗史学会第17回研究奨励賞受賞。
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